交流分析でわかった「努力しても燃え尽きる」原因。生きづらさは親から連鎖する【前編】

交流分析でわかった1

いつの間にか9月4日を過ぎてるな・・。
忙しすぎて、気が付かなかった。

9月になるといつも2009年、広島に3週間引っ越したことを思い出す。

2009年9月4日に新幹線に乗って、広島まで行ったんだ。
そこで初めての一人暮らしをした。

9月4日っていう日付だけは、ずっと忘れられない。
この日が、自分の人生が変わる日だと信じていたから。
そう、期待していたから。

引っ越したのは、広島の段原って場所だ。
マンションの何階が俺の部屋だっけ・・それは、もう覚えてない・・。

初日、電気がなくて真っ暗だったのを覚えている。
照明器具が取り付けてなかったんだ。
仲介会社に電話したら、自分で付けてくださいとのこと。
だから、初めの夜は、真っ暗な中過ごした。
窓を開けていたから、隣の部屋のエアコンがうるさかった。

希望に満ちあふれて行ったのに、絶望的な苦しい気持ち・・孤独な感情がふつふつと沸いてきた・・。

順を追って話そう。

目次

N先生との出会い

2008年の夏、28歳の俺は家に引きこもっていた。

この時、XBOX360の「テイルズ オブ ヴェスペリア」をプレイしていたはずだ。

これまでプレイしたXBOX360のゲームの中で、最高の一作だと感じていた。
超美麗なグラフィックに感動したよ。
ストーリーもシリアスで俺好み!

テイルズシリーズは、第一作目の「テイルズ オブ ファンタジア」を挫折してから、
ずっとやってなかったんだけど、
いや、そんなのは、どうでもいいよな。

この時期に、俺は心理カウンセラーN先生のブログを読んだんだ。

それは、秋葉原無差別殺傷事件の記事で、
犯人に対する深い心理分析が書き連ねていた。

一言でいうと、「親の育て方に問題があるから、犯罪者になった」
って内容なんだけど、
深い見識と説得力ある内容で、とても感銘を受けた。
ショックを受けたといっていいかもしれない。

俺が駄目なのは、自分のせいだと思っていた。

とにかく俺は本当に一生懸命、努力する人間なんです。
18歳で司法試験を目指した時は、毎日頑張って、
LECの答練で付随的違憲審査制の論文ですが、
25.5の合格点を出したのを覚えてます。

でも、途中で燃え尽きてしまった。
もう頑張れなくなった。
急に、突然に、動けなくなってしまった。
もうこれ以上、勉強を続けることができなくなってしまった。

こういうことを俺は、18歳以降、何度も繰り返すことになる。

なんでそんなことになるのか、不思議だった。
なんで、自分は他の人と違うんだろう?
他の人は最後までやり遂げることができるじゃないか。
なんで、俺はいつも途中で燃え尽きてしまうんだろう?

わからなかった。

で、N先生の記事を読んで、
パラダイムシフトが起こった。
もしかして、俺を育てた親に原因があるのではないか?

それで、すぐにお母さんに話して、N先生のカウンセリングを受けることになった。

N先生は埼玉に住んでるんだけど、わざわざ神奈川の俺の家まで来てくれた。
家の中を見るとわかることがたくさんあるからだ、と言っていた。

で、最初に母さんとN先生が二人だけで1階で、話した。
かなり長い時間だった。
俺は2階の自分の部屋で待っていた。

その後、俺の番になり、
開口一番に言われた。

「よく今まで生きてこれたね。頑張ったね」

って。

それがすごい記憶に残ってる。
そんなヤバい親だったんですか?って思った。

・・・が、かなりヤバい親だとのこと。

俺が挫折しまくるのは、当たり前。
無気力で常に疲れているのは当たり前。
なぜなら、そういうふうに育てられているから。

だそうです。

原因は、祖母までさかのぼる!?

で、N先生が言うには、俺の祖母、つまり、お母さんの母親に問題があるとのこと。

メモ書きを指し示されながら話を聞いてたんだけど、
「赤フクロウくんの、お祖母さんの◯◯さんが・・」と言われた時、
俺は「あ、お祖母さんの名前って◯◯さんって言うんですか?知らなかった」

と、言ったら、N先生が驚いていた。
お祖母さんや、お祖父さんの名前を知らないのは、普通じゃないと。
つまり、お母さんが自分の親について、息子である俺に、全く語っていなかったってことだ。
そういうところにも、根深い闇の部分が現れてるそうです。

俺のお祖父さんは千葉の田舎町の名家の跡取りで、土地をたくさん持っていた。
地主だったんだ。

でも、お祖父さんは失踪してしまった。
なぜだかは、俺には、わからない。
母さんは俺に理由を説明できなかった。
家にいられない事情、いたくない事情があったのだろうか。

そして、

失踪している間に、お祖母さんは、自分の夫(俺のお祖父さん)を禁治産者にした。

禁治産者ってのは、精神障害や知的障害で財産を管理できない人として、
裁判所から財産の管理を禁じられた人のことです。

たぶん、お祖母さんが裁判所に失踪したお祖父さんは精神が病んでいたから、失踪した、
だから、禁治産者に認定してほしい、と申し出たんだろう。

そうして、お祖母さんは、家を乗っ取った。
お祖父さんの財産、多くの土地は、お祖母さんが管理することになった。

やがて、お祖父さんは家に帰ってくる。
しかし、財産の権限はすべてお祖母さんが握っていて、
お祖父さんはいるだけの存在だったらしい。

じゃあ、お祖父さんは頭がイカれていたのか?
精神病だったのか?本当に禁治産者だったのか?

答えはNOだ!
断じてNO!
これははっきり言える。

どうしてわかるかというと、俺は小学生の時、晩年のお祖父さんと会って、普通に会話をしているからだ。

別に普通の爺さんだよ。
精神病とかでは絶対にない!
田舎に行くと、お祖父さんがいつもお年玉を1万円くれたから、
それがすごい嬉しかったのを覚えている。
1万円くれるのは、お祖父さんだけだったんだ。

つまり、俺のお祖母さんは、財産を乗っ取るために、禁治産者ではないお祖父さんを、禁治産者にした、ということだ。

たしかにかなりヤバい!

このヤバいお祖母さんに育てられた子供はどうなっただろう?

お祖母さんには娘が3人にいる。

長女A子は婿をとった。名家を引き継ぐためだ。
しかし、名家は断絶することになるだろう。
理由は、長女には息子が二人いるが、
長女A子の長男は、ずーっと、ひきこもりニートです。
最後に会った2012年時点で40近かったと思うけど、当然、ひきこもりニートです。
次男は、なにやってるか謎の人。アルバイトしてるのかな・・。結婚できる感じではない・・。

次女B子さんは、中学生か高校生の時に、統合失調症になって、
ずーーーっと、精神病院に入院している。
俺の母さんいわく、B子さんは想像の声が聞こえてきてしまって、
その声の言う通りにするようになった。
それで、ずっと入院しているんだそうだ。

一度か二度会ったことあるんだよな。
たぶん、外出が許可されることがあると思うんだけど、
長女A子の家に、B子さんが来てて、
小学生の俺が漫画読んでたら、
B子さん、ずーっと、「そんなところで読んでたら目が悪くなるよ」と言い続けてた。
ウザいなと思ってシカトしてたら、ずーっと、同じこと言ってきた。
変な人だなと思ったよ・・。

三女C子は、俺の母ちゃんだ。
ご存知、俺は、苦労人の引きこもりだぜ。

まとめるとこういうことだ。

お祖母さんの長女の息子は、ひきこもり。
次女はずっと精神病院に入院して出られない。
三女の息子は引きこもり(俺のことね)。

完全にヤバいね!全員ヤバい!

つまりこれ、「子供に異常がある時、親に原因がある」
っていう、N先生の主張が、証明されてると思うんだよね。

お祖母さんは、俺が2歳の時に死んでしまった。

だから、お祖母さんの記憶はない。

たぶん1歳か2歳の時、首にシッカロール(ベビーパウダー)をつけられて、
すごく気持ちよかった記憶がある。
それをつけてくれたのが、お祖母さんだったような気もする。

お祖母さんは、赤ん坊だった俺をものすごく可愛がってくれていた、
って母さんが何度も言ってた。

ちなみに、お祖父さんのほうもいい話は聞けなかった。

「お祖父ちゃんを禁治産者にするなんて、信じられない!異常だ!」
とお祖母ちゃんのことを非難したら、
お母さんは「お祖父ちゃんは仕事をしないで、家族が苦労していた。
だから、お祖母ちゃんが苦労して働いていた」と、擁護していた。

それから、親の話をしない母さんも、浪人している時、お祖父ちゃんから「タダメシ食らいだ」と言われたと、何度も言っていた。

とにかく、母さんは自分の父親をよく思っていなかったようだ。

 

俺が2歳の時に、お祖母さんが死んだ。
その直後にお母さんは離婚したんだ。

母いわく離婚理由は、俺の実の父親の浮気が理由とのことだが、

N先生は「お祖母さんが死んだから、離婚できた。
お祖母さんが死んで、やっと自由に行動できるようになった」とか言ってた。

N先生は交流分析という心理学を用いて、俺の抱える心の問題が、母親やさらに上の世代の祖母に原因があるというメカニズムを、詳細に説明してくれた。

俺は後にこの交流分析について、学ぶことで、心について多くの知見を得ることができたのです。

交流分析にもとづくカウンセリング 再決断療法・人格適応論・感情処理法をとおして学ぶ [ 倉成宣佳 ]

エリック・バーン人生脚本のすべて 人の運命の心理学ーー「こんにちは」の後に,あなたは何と言いますか? [ エリック・バーン ]

なぜだかわからないけれど、人とうまく関われないとか、
なぜだかわからないけれど、異常に疲れやすいとか、
なぜだかわからないけれど、心の底にいつも虚しい気持ちがあるとか、

生きづらさを感じてる人は、その理由が、親や、祖父母や、さらにその上の世代にあるかもしれません。

幼少期

そして、母さんは離婚した直後に、
知り合ってすぐの17歳年上の男と結婚するという異常な行動に出た。

この男は神奈川に住んでいて、生まれてから27年間、千葉の田舎町に住んでいた母さんは、
神奈川県に引っ越すことになる。

これは異常だよね。

普通は面識のない人間といきなり結婚して、生活のすべてを変えて、他所の土地に引っ越さない。
普通はよく知りもしない相手に、自分と子供の人生を預けるという決断を、一瞬でしたりしない。

「なんで知り合ったばかりなのに、結婚したの?おかしいでしょ?」
と大きくなってきいたところ、
「小さかった俺に父親が必要だと思ったから」と言っていたけど、
おかしいよね。

本当に俺のために結婚するのだとしたら、
俺の父親として相応しい人物なのか時間をかけて見極めるはずだからだ。

で、俺はこの母親が選んだ義父に、
ひどい暴力をふるわれ、馬鹿にされ、他の兄弟とは分けて扱われてきた。

「お父さんが嫌いだ」と幼少期の俺は訴えたが、母親は父親の味方をした。
「お母さんは、お父さんが好きだから」と言われてショックだったのを覚えている。

たぶん3歳とかの時に、
なにかがあって、「僕のお母さんだ」って言ったら、
義父は「だからなんだ!?お前のお母さんかもしれないけど、俺の嫁だ!」
と、すごんできた。
3歳くらいの子相手に威嚇してきたんだ。
小さいながら「こいつ、やばいな、他の大人と違うな」って思ったのを覚えている

義父は3歳くらいの俺の前で、見せつけるように母親と性交渉をした。
義父は「ほら、お母さんと仲良しだよ、見てごらん」と言った。
俺は「眠いから」と嘘をついた。
どう返事すればいいかわからなかったからだ。
小さな俺は布団の中で母親の喘ぎ声を聞きながら眠りについた。
そんなクソみたいな家で育った。

俺は当然のごとく、問題児に育っていた。
小学1年の時には、なにもしていないクラスメイトに、いきなり暴力をふるったこともある。
なぜ、そんなことをしたか?
それは注目されたかったから。
廊下に出ていて、子供がたくさんいる。
そこで自分の力を急に誇示したくなった。
馬鹿だし、自分に自信がないから。
誰にも愛されないで育つと、子供は問題行動を起こすようになる。

そういう話をひとしきりした後、
母親との関わりを断ち切ることが大事だとN先生は言った。

元凶である母親との関係を切れば、自由になれると。

それで、ひきこもりの俺に、家を出てひとり暮らしをすることが必要だと告げた。

母親と離れることが重要だと。

「いやいやいやいや、そんな無理っすよ、ひとり暮らしなんて」と、俺。

それはもちろんわかってます、という顔で、N先生は、
「まずは、棚卸ノートを書きましょう」と課題を出してきた。

 

あのね、

あまりに長すぎるので、2つに分けたよ。

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この記事を書いた人

1979年生まれ。学校にほとんど通わず、労働経験もほぼないまま長期引きこもりの詰み状態になる。だけど一生懸命がんばって、大好きな女性と結婚し、資産形成にも成功して現在は働かずに生活可能に。今は子育てに全力投球中。本音を言うとずっと引きこもっていたいのですが?

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