そして決断の時
就職まで書いたから、もはや書きたかった「バタフライエフェクト」の説明は済んでる。
これで終わりにしてもいいんだけど、
「せっかくの就職を断って、どうなったんだよ!どうやって生きていくんだよ!?」って、あなたは思ってるかもしれないので続きを書いておく。
S社を1日で辞めた俺は、引きこもりに逆戻り。
でも、嫁子という彼女がいるので、よくデートしてたし、お母さんがもうご飯を作れなくなっていたので、外食してました。なかでも日高屋のダブル餃子定食がすごく好きでした。
なので、けっこう頻繁に外に出る引きこもりって感じでした。
そんな中で母が亡くなります。
夜中に横山光輝の「史記」を2階で読んでいたら、1階から母親の「ハイヨー、ハイヨー」という声が聞こえます。
母は一晩中「ハイヨー、ハイヨー」と言い続けました。
朝6時に、弟に起こされました。
「母ちゃんが冷たくなってる。死んでるかもしれない」
と、言われて、降りていってみると、母は目を開けたまま横たわっていました。
医者を呼び、死亡が確認されました。
2012年7月、俺が32歳の出来事でした。
母親が一晩中口にしていた「ハイヨー、ハイヨー」は「痛いよ、痛いよ」って言ってたんじゃない?と、後に嫁子が言ってました。
お母さんが亡くなった後に、これからどうするか?の話し合いの場がもうけられました。
出席者は、俺、義父、弟、義兄の長男、義兄の次男の5人。
義父からは、母親が亡くなった分の生活費の振込金額を減らすと言われたり、
義兄の長男からは、仕事をして苦しくなるなら精神科を受信して薬を飲んだほうがいい、薬を飲んでよくなったお婆さんを知っていると言われたり、しましたね。
で、俺と義父が言い合いになった気がする。
義父はお前に家にいられない状態にされたと言い、
俺はお前が勝手に出ていったんだろう、と言った。
カウンセラーN先生のカウンセリングを受けていた時、「感情を我慢せずに出しなさい」とアドバイスされ、
俺は義父に対して、これまでにないほどの激しい怒りと本音をそのままぶつけた。
そうしたら義父は家を出ていったのだ。
こういうことは前にもあった。
たぶん、高校生くらいの時じゃないかな。大喧嘩したんだ。
その時も義父は家を出ていった。
で、会社で寝泊まりしてたんだけど、俺の方から母さんを通して謝って和解を試みたんだ。帰ってきてほしいって。
なぜかというと、義父が家を出ていたのは俺にとって恐ろしいことだったから。
義父は引きこもっていた俺に、「18歳になったら家を出ていってもらう」「お前が出て行かないなら、自分が家を出ていく」と、ずっと言っていた。
学校にほとんど行ったことなくて、大体家に居たんだ、俺は。
「家を出ていってもらう」と言われることが、なによりの恐怖だった。
義父が家を出ていったまま仲直りをしなかったら、本当に家を追い出されるんじゃないかっていう恐怖から、俺は義父に帰ってきてほしいと言ったんだ。
けど、N先生のカウンセリングを受けた時の俺は、覚悟を決めていた。
自分を変えるためにN先生の言う通りにしようと決意していたんだ。
N先生から言われていたのは、「本音で生きること」とか「自分の本当の感情を出すこと」とかだ。
義父が家を出ていっても、帰ってきてほしいとこっちから絶対に言わなかったし、
義父が家に少し戻ってきても、俺は無視し続けた。
そうしたら、そのままになった。
義父が家に戻ってこないのは恐ろしいことだった。
本当に家から追い出されるんじゃなかという恐怖が常にあるからだ。
N先生に会う前だったら、義父が機嫌を損ねたら、回復するように配慮していた。
でも、それをやめた。
あー、それで話し合いの時のことを書いてたんだよね。
俺は求職者支援訓練に行ってたこと、そのWEBスクールで一番だったこと、S社に内定をもらったこと、でも、一日で辞めたことを話した。
なんでそんなこと話したんだろう?
きっと「お父さんに褒めてもらいたかった」からだと思う。
「引きこもってたけど、WEBスクールで一番になったなんて、頑張ったな。すごいんだな。S社に内定もらったなんて、やればできるじゃないか。本当はできるやつなんだよ」
みたいにさ、言ってもらいたかったんだと思う。
もちろんさ、S社を一日で辞めたことを責められましたよ。
それはそうだよね。わかるよ。
どうしようもないゴミだと思うのは仕方ないよ。
でもさ、たったの一度だって褒めてもらったことがないから、「お父さん」に褒めてもらいたかったんだ。
俺も義父の本当の子供たちと同じように愛されたかった。
えーっと・・
あと何話したっけな・・
うん、じゃあ、まあ、本題に入るよ。
俺は「家を追い出すぞ」「この家を壊す」と言われ続けていたのが、ずっと恐怖だったことを伝え、それは脅迫だと義父を責めたんだ。
すると、義父は「じゃあ、この家をお前にやるよ。その代わりに養子離縁をしろ。親子の縁を切るなら、家をやる」
と、言ってきた。
一瞬、驚いたけど、俺は即答して、その申し出に乗った。
家をもらうことができれば、追い出されるという恐怖はなくなるが、義父からの援助が一切なくなる。
それは怖かったが、生活費だって義父の気分次第で支払われなくなるかもしれない。
生殺与奪を義父に握られていることが一番怖かったんだ。
家さえもらえれば、嫁子と一緒に住んで、一緒に働けばなんとかなるかもしれない、って思った。
そりゃ、俺はS社を1日で辞めたダメ人間だけど、プログラマー以外のことだったら、無理しなかったら、できるかもしれないじゃないか。
家をもらったら、あとは、食費と水道光熱費と通信費でしょ・・1ヶ月で7万円くらい稼げればなんとかなるんじゃないかって思った。
義父と縁を切って、嫁子と一緒の未来へ進んで行きたかったんだ。
不動産を探す毎日
家をくれるってことになったんだが、義父は難色を示すようになった。
やっぱりやめとこうか・・という感じだ。
理由を聞くと、贈与税がかかって計画は破綻するから、ということ。
2012年当時、たしか110万円を超えるものをもらうと、贈与税っていうのを、もらった人が支払わなければならなくなる。
で、家をあげた時の贈与税がいくらになるか、確実なところはわからないらしい。
1000万円を超えるくらいの贈与税を支払わなければならない、とか、そういうレベルの金額だったと思う。
だから、無理だからやめようってことになった。
そーなってくると、義父に養われる不安の毎日が続くことになる・・。
それはイヤなので、いろいろ調べると2500万円までは贈与税がタダになる相続時精算課税制度っていうのがあった。
これならイケるんじゃないかってことで、義父に話した。
でも、義父も税理士から相続時精算課税制度のことは聞いて知っていたが、これも無理だと言われた。
相続時精算課税制度ってのはなにかっていうと、2500万円まで贈与税をゼロにできるんだ。
でも、その代わり、相続税がかかる。
要するに、義父が死んだあとに、俺が相続税を支払わなければならない。
それはいくらになるかわからないし、俺に払えないような、すごい金額になるから、無理だって言われた。
しかも、家の評価額は不明で、2500万円を超える可能性が高い。
2500万円を超える部分にも贈与税がかかる。
それを俺が支払うことはできないから、無理だって言われた。
ここで俺は人生を変える決断をすることになる。
実行不可能だと言われたけど、ずっと相続時精算課税制度が頭から離れなかった。
ずっと、このことを考え続けた。
家の評価額は不明・・家の価値が2500万円を超えるなら、贈与税が発生し、俺は払えないから破綻する・・。
不動産鑑定士かなんかを雇って評価額を算定したらいいのか?
いや、仮に家の価値が、2500万円以内で贈与税はタダになっても・・義父が死んだあと、俺では支払えないくらいの相続税を請求されて、破綻する・・だから無理・・。
たしかにそうだ。
そうなんだけど、
なんとかならないか?
ずーっと、ずーーーっと、考えて、
義父に言った。
「家もらう代わりに、2500万円を相続時精算課税制度を使って、贈与してくんない?それで、お望み通りに養子離縁するからさ」
ビックリしている義父に続けます。
「2500万円を使って、アパートを買う。そのアパートの一室に俺が住んで、他は人に貸す。
お父さんが死んだら、何百万円か俺が相続税を払わなきゃならないんでしょ?
賃貸経営をして、その相続税を稼ぐ」
それからというもの、毎日毎日、優秀な不動産業者を探しました。
ここで優良物件を買えなければ終わりです。
もしクソ物件を騙されて買うことになったら人生終わりです。
メチャクチャ物件も見たし、
何社もの不動産屋にコンタクトを取りました。
最初は北海道の物件を買おうと思ってました。
その時の北海道のアパートやマンションは安く見えたし、利回りがすごく高かったんですよ。
20%とかいってたかな。
でも、いろんな人としゃべって、考えて、最終的には神奈川県のある業者に決めました。
そうして、僕は不動産投資家デビューしたのでした。
その業者さんと組んで、さらに共同担保で、2棟目のアパートを購入して事業を拡大させました。
共同担保っていうのは、現金で買った最初のアパートと、新しく買うアパートの二つを銀行の担保にしてお金を借りるってやり方です。
担保が倍なので、銀行は取りっぱぐれがないので、融資してくれたんです。
で、その後、儲かったお金で株式投資も初めて今にいたるって感じです。
義父が亡くなった後の相続税の支払も済み、純資産は現在1億は超えると思います。
不動産の価値は売ってみないとわからないので、買値ベースでの計算ですが、2012年の年末と2013年に購入したものなんで、かなり値上がっているはずです。
なので、少なくとも1億以上ですね。
んで、最後に、「彼女が欲しい」から、不動産投資まで連鎖していった過程をまとめます。
1, 彼女が欲しい!
2, →Оさんのナンパ講座に入塾する
3, →ナンパの課題をこなすために毎日外に出れる環境が必要になった
4, →仕方がないから、基金訓練に入学した。
5, →基金訓練に毎日通って、帰りに3人以上の女の子に声をかけることを頑張った。
6, →その結果、何人もの女の子とデートできたり、彼女ができたりして、自信になったし、心もトークスキルも成長できた。
7, →ナンパを続けるために、仕方ないから求職者支援訓練に入った。
8, →そこで将来結婚する嫁子に出会って、半年間の修行のすべてを注ぎ込んで口説いて恋人同士になれた。
9, →S社の人事さんに興味をもってもらった。
10, →嫁子と一緒に生きていきたいので、S社に入るため行動した。
11,→S社に入社できたが1日で辞めた
12,→義父から「養子離縁をするなら、家をやる」と言われた。
13,→義父から税金の問題があるから、家をあげる話はナシだと言われる。
14,→調べて、相続時精算課税制度というのものがあるの知った。
15,→相続時精算課税制度でも、相続税が発生するから無理だと義父に言われる。
16,→本当に無理なのか?考えて、不動産投資について調べ始める。
17,→2500万円を相続時精算課税制度を使って贈与してもらい、アパート経営を開始する。
一つの行動が原因で、予想もしなかった結果を生む
結論からいうと、この31歳の時から15年後には、資産1億を超えます。
そこ至るまでの最初の一歩は、
お母さんが死ぬ、義父に追い出される・・と窮地に立って下した決断、
「彼女を作るためにナンパをする」
なんです。
言いたいのは、本当に欲しいものを手に入れるためには、人はすごい力を出せる。
その結果、想像しなかった出来事が連鎖的に起こってくるってことです。
だって、それはそうですよね。
引きこもって「日雇いでもどんな仕事でもいいから、とにかく仕事をしなきゃ」って言って動けていない俺が見ている世界と、ナンパして彼女を作った俺とでは見えている世界が違うんですから。
引きこもっていた時では想像できなかった発想が出てくるし、
引きこもっていた時ではできなかった行動をするようになるし、
引きこもっていた時にはできない決断ができるようになるわけですよ。




